安田隆夫

安田隆夫は1949年岐阜県で生まれた。大学卒業後、不動産会社でトップ営業マンとして活躍するが会社は倒産。29歳で『泥棒市場』を開業し、資金約800万円はギャンブルで貯めたお金。

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安田隆夫は1949年岐阜県で生まれた。


親が教師という堅い家庭環境に育ったものの、小さなころから腕白で将来の夢は探検家だったそうで、学校の成績もよくなかったようである。


しかし、ある時「東京に行きたい」という目標を持ってからは猛勉強を重ね、慶応義塾大学に入学。


ところが大学に入ってからは次の明確な目標を見失い、また都会的な学生の多い慶応大学は肌に合わなかったようで、麻雀にあけくれるようになり、大学一年の時に留年してしまう。


この時、安田は慶応大学の学生に嫉妬心を持っていたようで、「いつか見返してやりたい」という気持ちが”起業への夢”につながる。


大学を卒業後、安田は不動産会社に就職し、トップ営業マンとして活躍するがオイルショックによる深刻な不況で会社は倒産してしまう。


もとより独立しやすいという理由で不動産業界に入った安田にとって、会社の倒産はあまり問題ではなかったようだが、その頃はまだ「何のビジネスをするか」というのは決まっておらず、2〜3年の間ブラブラする事になる。


そして1978年安田29歳の時、日用雑貨等を扱う安売り店『泥棒市場』を杉並区に個人開業する。実はこの店の開業資金約800万円はブラブラしている間にギャンブルで貯めたお金だそうだ。


当時『泥棒市場』は安田が1人で切り盛りしており、真夜中に明かりを点けて商品の陳列作業している間に店にお客さんが訪れるようになったそうである。


その後『泥棒市場』は”安売り””深夜営業”という評判が広まり繁盛。


1980年には株式会社ジャスト(現・株式会社ドン・キホーテ)、1982年には株式会社リーダーを設立し、代表取締役に就任。


1988年安田39歳の時、東京・府中に『ドン・キホーテ』第一号店をオープン。その後多店舗展開することで、大量仕入れ、大量販売が可能になり、さらに販売価格を低下させる。


そして1996年に店頭公開し、2000年にはついに東証1部上場を果たす。


安田隆夫は、


「日本では、失敗しても餓死することはない。収容所に入れられる危険性もないし。じゃあ、何がリスクかっていうと、実際のところ独身の若者にリスクなんてないんです。むしろ、若い頃にリスクをおかさず、人生の最後に『もっと思い切りやっておけばよかった。』と後悔することが最大のリスクだと思います。


一回しかない人生なんだから、主体的に生きなきゃもったいない。かったるい予想や予測をしても、世の中そんなに当たるもんじゃない。だから、つまらない予想や予測はやめて、リスクをとりに行こうじゃないですか。」


と語っている。


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